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エックスの日記系プログです。最近のテーマは、IDOLM@STER,ALI PROJECT,ドラゴンボール,ブロリー,そしてPRISON BREAKなどがメインのようです。

最小のミスで、最大のミスにしないようにする。

ある大きなミスを犯したとき、

人は悔やんでも悔やみきれない後悔をする。
たとえそれが、人に指摘されなくても、されてもだ。

しかし、ここでプラスに考えるならば、

そのミスを、最小に抑えることができたかもしれないということ。

もしかしたら、人は最大のミスをしたと思っておきながら、

そのミスを最小に抑えることができていたのかもしれない。

最悪、どうなっていたかを考えれば、多少は心も落ち着くだろう。


とは思うものの、そうそう簡単には割り切れないミスというものなり。
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どうしたらいい……?

私は、実はある障害を持っている。

それは、外見的にも現れていないし、

精神科などでも、特に言われていないから、多分、私が、自分で勝手に障害だと思っているのだろう。


ただ、通い始めたカウンセリングルームでは指摘された。


私は、一つのもの、例えば、映像、文章、言葉、情景、その場の空気から、

普通の人ならば、1つか2つしか、情報が入ってこないものを、


“想像しうるだけ、すべての情報”を、

無意識のうちに記憶に取り込んでしまうらしい。

10や20ではない、時として100以上のものを取り込んでしまうということだ。


それは早い話が、観察眼や感受性の感度が異常に高いということなのだが、

こういう話をすると、逆に、あこがれさえ抱かれることもある。


例えば、観察眼や感受性が敏感な事は、作家などにぴったりかもしれない。

しかし私の場合、


良いことも悪いことも、何もかもすべて取り入れてしまって、


それから良いものだけを汲み上げる事ができないでいる。

(作家などは、時代が求めているものを取り上げ、しかも相当な文章力も持っているはずだから、ただ観察眼や感受性だけを持っているのではないはずだ)


こんな私。実は、小学生ぐらいから、些細なことを気にしては
ダメージを受けるタチだったので、

不登校だったのは言うまでもあるまい。


大学は講義を受けていれば良いだけだが、


時として耳をふさがなければならないこともある。


大学は4年の卒業研究は、完全に個人競技だし、

論文指導者が相当に甘い所をわざと選んだから、クリアできそうである。


それで、就職は、実は私はすでに就職して働いているので、

今の職業が続けられるのならば問題ない。。
(フリーの仕事ですけど)


しかしだ。


ここまで来れたのは良いものの、

相変わらず私の頭は、極度とも言えるほどの感度を持っており、

ネット上の何か、テレビの何か、人の何か、
を感じ取っただけで、相当なダメージを受けてしまう事がある。


本日も、“他に人にとっては些細な事かも知れないが、私にとっては重大なダメージを受ける”ような出来事があった。


つまり、私は今日、自分のあまりの“弱さ”に、戸惑った。


まだ私自身、若いのは確かだ。


しかし、これからの人生、こんなに“弱く”て平気なのかと思ってしまう。


そして、そんな私を“強く”しようと、

実は何度も、苦境に飛び込もうとしていた事もある。


だがその結果は、
さらに私自身を“弱く”してしまうというものだったのだ。。


実際、カウンセリングルームでは、

無理をして自分を“強く”するのではなく、

感受性の高い自分を、“活かす”生き方をすれば良いと言われている。



うむ。こういった時こそ、やはりカウンセリングルームで、

相談するべきだろう。。
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死について考える 6 「死について考えるとき」

私がどうしてもそんな事を考えてしまうとき、

それは、何故か寝起きである事が多い。

私は寝起きから目が覚めているような人間だから、

思考も立派に回転する。


だが夢の中の幻想と、現実との中間にあるような状態が、私をそんな、

「生きているという事自体の不思議さ、偶然さ」

を感じさせてしまうらしく、

「自分が生きているという事自体が、途方も無く低い確率で生まれたもの」

と思わせてしまうようだ。


もしかしたら、自分自身の存在さえもが幻に過ぎないのか―?

無意識と意識の間には、そんな気持ちにさせる、不思議なものがあるのかもしれない。
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『死』について考える 5 「平等なるもの」

人間、誰しもが平等が良いという話は良く聞く。

しかし現実はそう行くはずもなく、

どんな人間にも格差は存在している。


だがどんな時代であっても、人間には平等な事があるし、

それは永遠に続いていく事だろう。


それこそ、まさに「死」である。

人間、そしてそのほかの生命体にとって、死は必ず訪れるものである。

この「死」、いつ訪れるか分からないのも平等な点だろう。


生活事情で「死」に隣している場合も有るのだが、

その「死」に至るまで、いつ訪れるのか、それはどんな人間にも分からない。
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『死』について考える 4 「当り前の出来事」

「死」というものよりも「生」、

つまり生きているということについて考えると、


我々は、何かしら、体を動かしていないと生きていけない。

寝ていても、自律神経とかで体は動いていて、どこかは必ず動いている。


たとえば、手を動かしてみよう。

その指に至るまで、我々は、繊細に動かすことができる。

それはあたりまえの事。


だが、実は脳が命令してそれが神経を伝わり、手の筋肉に電気信号を送って、筋肉を収縮させているわけだ。


我々はこれをあたりまえの事として、手を動かし、それを何千回と繰り返してパソコン作業をしたりする。

それもあたりまえの事としてできる。


だが、この神経、実はとても繊細で、しかも首の部分の脊椎には、頭から下の神経がコードの束のようになっている。


この神経、一度に切れるようなこともあるわけで、、


当たり前だと思っていた事が、当たり前でなくなる、ということは、

ほんの些細な出来事なのかもしれない。。


本日、プールで泳いだ後肉体疲労した体、どことなく指を動かすことさえも、いつもより不思議と重い事から、

そんな想像が生まれた。
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