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1567年~1568年「毛利元就の伊予出兵」 日本・戦国時代史

『毛利元就の伊予出兵』
場所:伊予国全域(現:愛媛県)

年月日:1567年(永禄10年)11月~1568年(永禄10年)10月

結果:『毛利・河野軍』の勝利
交戦勢力:
『毛利・河野軍』対『土佐一条・伊予宇都宮軍』
小早川隆景、村上通康 対 一条兼定、宇都宮豊綱
戦力:不明 対 不明


この頃の《伊予国》は『河野氏』が治めていましたが、

全土に渡って統治していたわけではなく、『西園寺氏』『宇都宮氏』

などの勢力が存在し、その他にも、《土佐国》の『土佐一条氏』の、

[一条兼定]などが影響し、覇を競っていました。

そしてこれは中国地方を支配する大大名になっていた[毛利元就]と、

影響を及ぼすこととなるのです。


●『土佐一条氏』の《南伊予》侵攻。

1566年、《豊後国》の『大友氏』と連携して『土佐一条氏』が、

『西園寺氏』を攻撃、以後、《南伊予》への進行が始まり、

『河野軍』と対立し、小競り合いが起きます。


『河野軍』は[毛利元就]に救援を求め、息子[小早川隆景]の軍を、

派遣することになるのでした。


ですが、[村上通康]が急病で死去し、『河野軍』に混乱が起こるようになります。

[小早川隆景]は、この戦を放棄することなく、

《伊予》へと出兵するのです。


●『高島の戦い』『鳥坂峠の戦い』

1568年になって、『土佐一条氏』の勢力はますます強力になり、

『河野軍』は完全に押されてしまっている状況でした。

『河野軍』は《鳥坂城》に城を築き交戦して、

落城の危機を迎えたものの、何とか『土佐一条軍』の攻撃を退けます。


やがて[毛利元就]は、[小早川隆景]を《伊予国》に上陸させようとします。

『毛利軍』の援軍は次々と上陸していくことになり、

膠着状態であった戦況が一気に動き出すことになります。


『一条軍』『宇都宮軍』が動き出し、戦闘に及ぶことになりますが、

結局は敗北して、『毛利軍』は周辺地域を次々と平定していきました。


●《伊予国》の平定

しかし、『大友氏』が《北九州》への進軍をはじめ、

[小早川隆景]らはそちらの対応にもしなければならず、

最終的な決着がつかぬまま、引き上げざるを得なくなります。

その後も、『土佐一条氏』は《伊予国》に軍を出兵させたまま、

『毛利軍』との対峙を続けていました。


[及美宗勝]が兵を集めて再度《伊予国》へと出兵して、

[宇都宮豊綱]を降伏させ、《伊予国》は一応の平定を見ます。


○『毛利氏』が《伊予》に出兵したこと

『毛利氏』は中国地方の大名となっていましたが、四国地方に介入した、

という理由は、九州地方の『大友氏』とも対峙する意味がありました。

『大友氏』にとっては、九州に攻めてこようとする、

『毛利氏』の軍勢を《伊予国》へと向かわせておく事がありました。

一方、二面展開をしなければならないとはいえ、

『毛利氏・小早川氏』にとっては、《伊予国》へと攻めることは、

勢力拡大をする絶好の機会であり、また、

『村上水軍』などを支配下へとおくこともできたのです。


一方、『土佐一条氏』はこの戦いで大きな被害を受け、

最終的に四国を統一する[長宗我部元親]が勢力を拡大する、そのきっかけを作るのです。
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Author:エックス
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(物理、数学、史学)

基本、日記はレビューが主になっています。
いい加減な感想などを書きたくなくて、
私自身も本気で見ているドラマや映画ばかりなので、
熱くて長いレビューになったりしています。

現在は、海外ドラマは『24-TWENTY FOUR-』『PRISON BREAK』
アニメは『プリキュア』などのレビューになっています。

昼間は、お仕事と、
大学時代から引き続き物理、数学の研究。
また、歴史(中国・三国時代史他)の研究。

夜は、アイドルマスターのプロデューサー、もしくはドリームクラブです。

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