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「鍾会 士希」 中国・三国時代史

『真・三國無双』
鍾会_無双7
CV:会一太郎
『真・三國無双6』から『晋』勢力で登場。
英才教育を受けたがゆえの若い秀才。
しかし完全に早熟であり、嫌味なほどの若造ですが、
そういった[鍾会]像も人気があるようです。

『三国志大戦』
鍾会_三国志大戦
どことなく不気味な印象もあるこちらの[鍾会]。
策謀家で、知略で名を上げたという事から
こういった印象になるのでしょうね。

ドラマ『三国志 ThreeKingdoms』

さすがに活躍した年代は後の時代であるため、
登場するに若すぎる[鍾会]は登場しません。

名:鍾会(しょうかい)
字:士季(しき)
-Zhong Hui-

所属:魏国
主君:[曹叡]→[曹芳]→[曹髦]→[曹奐]

出生:《豫州》穎川郡長社県
生年:(225年)
没年:咸熙2年(264年)
(享年40歳)

-伝-
『三国志 魏書』
巻28『王カン丘諸葛鄧鍾傳』[鍾会]

-血縁関係-

父:[鍾ヨウ]
兄:[鍾毓]



『魏国』成立以後に活躍をし、『蜀』を平定した、

功労者であり有能な『魏』の武将。

しかしながら『蜀』の滅亡後に謀反を起こして、

それが失敗して死去したという人物でもあります。


○来歴

幼い頃から賢く早熟であったと言われ、

教育熱心な母親から、4歳で様々な書物を[鍾会]に教え、

暗唱させていました。

[蒋済]は、5歳の時の[鍾会]を“並外れた人間”とまで言わしめています。

[鍾会]の母親は、15歳で太学に入学させ、

勉強を進めるようにさせました。


●出仕から『魏』への貢献
西暦245年~263年(20歳~38歳)

20歳で朝廷に出仕した[鍾会]。

父親の[鍾ヨウ]が[曹操][曹丕]時代の重臣であったこともあり、

また彼自身も才能や博識さ、勉強熱心であったため、

若くして重用される事になりました。

[曹芳]時代に、“尚書中書侍郎”に昇進し、

[曹髦]の時代には、“関内侯”の爵位が与えられています。


特に当時実権を握っていた[司馬師][司馬昭]らに重宝され、

『カン丘倹・文欽の乱』『諸葛誕の乱』の鎮圧に、

参謀として参加をしていました。


『諸葛誕の乱』の時は、参謀として軍事を取り仕切り、

[諸葛誕]の救援に来ていた『呉』の[全懌]らを『魏』に帰順させるなど、

知略を持ってしての参謀の活躍も見せていきます。

当時の政治上の変更や賞罰も、全て取り仕切っていたほどだったそうです。


●『蜀』攻略の戦い
西暦263年(38歳)

[司馬昭]の命令により『蜀』を配下に治めて統治するため、

《成都》に向かう戦いを[鍾会][鄧艾]らは任されます。

[鍾会]は[胡烈]らを先鋒として《陽平関》を落とし、

『蜀軍』の伏兵を次々と撃破していきます。


別方面から[鄧艾]が《綿竹》で[諸葛瞻]らを討ち取ったことから、

[劉禅]は[鄧艾]に降伏し、彼等は『蜀』を降伏させたのです。

[鍾会]らは『魏』の兵士達に略奪を許さず、

『蜀』の官僚たちとも友好的に接して、[姜維]とも親交を深めました。


[鍾会]はこの功績を讃えられ、司徒に任じられて昇進し、

もはや『魏』にとっていなくてはならない武将にまでなっています。



●『[鍾会]の乱』
西暦264年(40歳)

『蜀』降伏後、[鄧艾]が『蜀』の人々に、

独断で勝手な措置をしたため、[鍾会]は、[胡烈]や[師纂]と共に彼を告発し、

[鄧艾]は拘束、そして最終的に殺害されてしまいます。

自立の野心を抱いた、と言われている[鍾会]は、大軍勢で、

[姜維]と手を組んで『魏』に反抗しようとまで考えます。

良ければ[司馬昭]にとってかわり『魏』を支配でき、

悪くとも[劉備]と同じくらいにはなれると計算していたとも言われます。


西暦264年に《成都》で実力者を集めた[鍾会]でしたが、

[胡烈]の計略により、[胡淵]によって、将兵たちが反旗を翻し、

[鍾会]を殺害してしまいます。

よって彼の乱が起きることはありませんでした。

更に、[鍾会]と手を組み、反乱を起こせば、

滅亡した『蜀』を再興できると思っていた[姜維]は、

全ての望みを断たれて絶望し、自殺してしまっています。


○人物像と評価

武勇や知略があり、『魏』に欠かせない人物であった[鍾会]ですが、

後に謀反を起こし、それが失敗して死去という汚名があることから、

悪く描かれがちな[鍾会]。

[司馬昭]の正妻[王元姫]には、彼が利益目的で義を忘れ、

何でもしてしまい見境をなくしてしまうと言われていたり、

[辛憲英]は[鍾会]の野心を見抜いていたと言われ、

甥である[羊コ]に[鍾会]は勝手な行動をすると忠告していたのだそうです。


そういった後に繋がる出来事に関して、汚名を持つ[鍾会]ですが、

知略に優れ、文才もあったらしく、文学論を書いていたり、

皇帝[曹髦]にも、気楽な討論会に招かれていたといいます。

実際、彼の知略の才能を評価している人物も多くいて、

[鍾会]と仲の良かった[王弼]には、[鍾会]も感服しており、

[鍾会]自身の著書も『道論』などがあるそうです。


また、遠征に兄弟の息子を連れ、己の息子の名が出てこないため、

また独り身であったという記述も見受けられるため、

[鍾会]は生涯独身であったとの話です。
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(物理、数学、史学)

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いい加減な感想などを書きたくなくて、
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熱くて長いレビューになったりしています。

現在は、海外ドラマは『24-TWENTY FOUR-』『PRISON BREAK』
アニメは『プリキュア』などのレビューになっています。

昼間は、お仕事と、
大学時代から引き続き物理、数学の研究。
また、歴史(中国・三国時代史他)の研究。

夜は、アイドルマスターのプロデューサー、もしくはドリームクラブです。

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